まぼろしのきのこ

おれのきのこをみてくれ それもまぼろし

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her history and my history

我思うゆえに我あり。
理性的認識であらゆる存在を括弧に入れた末に、残るのは「思う」我だけである、
という近代哲学のはじまりといわれている言葉。
しかし、辺境アジアに住む者からすれば、こう思わないだろうか。

「その「思う」我が存在してるって、本当に簡単に言えるの?
誰かにそう思わされているだけじゃないの。
だって、全ては「まぼろし」で、「空」なんだからさ!」

仏教すごい。

僕は寝る前に『臨済録』を読むのだけれど、これが凄い。
これは臨済の教えを弟子達が残したものなのだが、面白くて頭がクラクラする。
その話は今度で、今回はそこに偶然

長者八十一、その樹耳を生ぜず。


とあったのを「発見」したのだ。「耳」は「くさびら」と読み、きのこの別称である。

入江義高訳では

『出家しても仏法を明らめ得なかったため、受けた布施は生まれかわって償わねばならない。長者が八十一歳になって、やっとその償いの木くらげが生えなくなるまで。』という話もあるではないか。


とされている。
この文章は、「戒律を律儀に守ったり」、「綿密な修行を積んでも」、「法」を見極めなければ、そんなもの無意味であり、償いをしなければならなくなるという、臨済の言葉に続き、この言葉の傍証としてあげられている。注にこの話の元ネタが記されている。

第十五祖の迦那提婆尊者の偈。中インドの七十一歳の一長者の庭に美味な木耳が生じ、長者とその子だけがそれをとることが出来たが、実はその木耳はかつてこの長者父子に供養を受けた僧が仏法を理解していなかったので、その償いとして自分の身を木耳に変じて返債しているのであり、長者が八十一歳に達するとその返債は終わって木耳は生じなくなろうと尊者は教えてやったという。



僧の体が木耳に変じてしかも美味である。急に生えてきた木耳。腐っていく僧。十年間の人間的成長のための猶予。その間父子は毎年毎年木耳を味わうことができる。僧は「理由無き」地獄のような苦しみを味わい、死ぬ。
後半は僕の解釈だけど
きのこ文学や…

Y
  1. 2010/02/20(土) 20:15:22|
  2. きのこ
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